着メロとゲームだけではなかった。中高生が鋭く反応した「ケータイ小説」

 ケータイ小説が中高生の間でずいぶん読まれているという。それだけではない。彼らは自ら小説を書き、表現している。携帯小説サイト「魔法の図書館」に登録されたタイトルは70万に達するという。ケータイを持たない私にとって朝日新聞の先日の記事はなかなか衝撃的であった。

 だいたいあの小さな画面とキーボードでそれなりの文章を綴るということ自体が信じられない。私の場合、作業はパソコンのキーボード限定だ。机の前に鎮座して、大きなスクリーンを眺めながら、手馴れた日本語変換を駆使してキーボードをたたく。ちょっとまとまった文章を書こうと思うと何度も何度も手直ししなければならない。ケータイでこんな作業ができるはずがない。

 だが、現実はすでに私の想像をはるか先を進んでいた。電車のなかでケータイをいじっている彼らは着メロとゲームを楽しんでいるだけではなかったのだ。爆発するケータイ小説ブームはネット世界にどんな問題提起をしているのだろうか。
 
 ①パソコン文化とケータイ文化の意外に大きな違い
 一見似たようなことをしているが、パソコンでブログを書くこととケータイで小説を書くことの落差は意外と大きいのではないか。まずやっている人の世代が違う。スキルが違う。住んでいる世界が違う。関心が違う。目的が違う。
 などと書き並べてみたが、要するに、ブログで小説を書こうという気にもならないのはなぜか。一度ゆっくり考えてみる必要があるのではないか。

 ②パソコンにはない「携帯する」ケータイの有利さ
 ケータイでは、いつでもどこでも、ちょっとした待ち時間でも、退屈しのぎに作業ができる。思いついたことをその場ですぐに文章にできる。いくら早くなったとはいえ、立ち上げるだけ1分近くを要するようなパソコンはこの点で圧倒的に不利だ。だいたい家に帰り着くまでに考えていたことを忘れてしまう。

 ③ケータイは敷居が低い
 パソコンやネットに関する知識、スキルがいらない。あの指先のテクニックさえ身につければ、ケータイはパソコンよりはるかにとっつきやすいツールだ。パソコンが一部のマニアのものであったのにたいして、ケータイはより身近で難しい知識なしに入っていける世界だ。ツールはもともと安価だし、ネット接続料も以前よりはかなり安くなっている。

 ④パソコン文化はケータイ文化にいずれ吸収合併される
 たとえばブログをケータイから投稿する人は多くなっているだろう。ブログという旧世界の住人ももはやケータイの便利さを無視できなくなったということかもしれない。
 しかし、それは単に普段パソコンを使っている人がちょこっとケータイを利用するという程度では終わらない大きな変化の始まりを意味する。ケータイの使い勝手のよい環境やその上で成り立っている作法や発想や感性がやがてパソコン世界にも大きな影響をもたらすということだ。
 それはどういうかたちでやってくるか今のところ想像できない。だが、いずれパソコン文化はケータイが生み出した新しい文化に吸収合併されていく。ケータイを使いこなす人たちの間で生まれたツールとの距離感、表現力、ネットへの関わり方。そうしたものすべてがこれからかなりのスピードで変わってゆくだろう。

 ⑤オンラインオフィスのヒントはケータイにある。
 このブログでも「オンラインオフィス」「ウェブ仕事術」などと言っているが、その未来形はケータイにあるかもしれない。ケータイはパソコンから派生した「鬼っ子」であるが、同時にそのパソコンを飲み込んでしまうエネルギーと可能性を持っている。ケータイ小説ブームはあらためてそのことを実証しているようだ。